宇宿貝塚史跡公園

施設の概要

宇宿貝塚史跡公園は、昭和61年(1986)に国史跡に指定された「宇宿貝塚」の真上に整備された施設です。

この公園は、発掘調査で発見された縄文時代の竪穴住居跡や中世のお墓・溝などの遺構を、埋め戻さないで調査当時のそのままの状態で見学できるように展示している施設です。

宇宿貝塚でタイムトリップした気分で、昔の暮らしに想いをめぐらせてみませんか。

「宇宿貝塚」の中世

11世紀後半~12世紀前半は、南西諸島の社会が、大きな変化を迎えます。

まず喜界島では、掘立柱建物跡や墓地が多数確認された「城久遺跡」が最盛期を迎え、本土産の土師器・須恵器・滑石製石鍋・布目圧痕文土器(製塩土器)、舶載品の白磁・青磁・高麗無釉陶器・高麗青磁などが大量出土し、九州から大規模な移住者が来た様子がうかがえます。同時期に、徳之島では、韓半島の高麗無釉陶器の技術的系譜を引く陶質土器(カムィヤキ)が「カムィヤキ陶器窯跡」で大量生産されました。

宇宿貝塚でも、滑石製石鍋・布目圧痕土器・玉縁口縁白磁碗・青磁・須恵器などの搬入遺物が出土しているほか、カムィヤキも多数発見されています。Ⅴ字溝で区画された空間に墓地が形成されています。発見当初、弥生時代に位置づけられていたガラス玉が副葬された母子埋葬の墓壙は、その後の発掘調査成果から、中世の時期であることがわかりました。宇宿貝塚の東側に位置するダンベ山遺跡からも中世の墓壙群が確認されているので、この一帯が墓地として利用されていたと思われます。

こうした奄美群島における動態が、沖縄諸島に波及して、いわゆる「グスク時代」が始まるのです。稲作農耕が開始され、鉄器が普及しはじめ、南西諸島で政治的社会の形成が急速に進んでいきます。

宇宿貝塚の土層断面

展示紹介

準備中です。

「宇宿貝塚」の縄文時代

縄文時代に入ると、氷河期が終わり、温暖な気候になります。北海道から沖縄諸島に至るまで、日本列島に縄文文化が花開きました。縄文時代の人びとは、山・川・海で食料となる動物や魚などを、そして植物を採りながら、それぞれの地域における自然環境を利用しながら巧みに暮らしていました。

宇宿貝塚でも、最も気候が温暖化した縄文時代前期頃から人びとが暮らしはじめ、縄文時代晩期になると、集落が営まれるようになり、遺跡前方に広がる海で魚貝類を、背後の山地でイノシシを獲り、シイの実などを採集して食べ、定住的な生活を送っていました。そのため、シイの実などの堅果類をすりつぶして食べるために大型の石皿が発達しました。

そうした安定的な暮らしは、イノシシの骨による骨角器やオオツタノハ・サラサバテイラ・ウミギクガイなどを素材とした貝製品など、独特な装飾品の発達をもたらしました。 

宇宿貝塚の発掘調査により、南九州の縄文時代後期土器である「市来式土器」の破片や黒曜石などが発見され、南九州との交流も明らかになりました。

展示紹介

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施設情報

宇宿貝塚史跡公園ご利用案内

所在地〒894-0501
鹿児島県奄美市笠利町大字宇宿大籠2301
TEL0997-63-0054
開館時間午前9時~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
休館日月曜日・祝祭日の翌日・12月28日~1月4日
入館料一般200円/大学・高校生100円/小・中学生50円
歴史民俗資料館との共通券 一般のみ310円
アクセス奄美空港より車で5分/徒歩30分
名瀬市街地より車でおよそ50分
「宇宿バス局前」停留所より徒歩5分
歴史民俗資料館より車で5分/徒歩30分

史跡保存活用計画書PDF